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日本のお金「円」が生まれた謎と3つの仮説

2021年10月01日
 

目次

通貨単位「円」が登場してから150年

今から150年前の明治4年(1871年)5月10日、「新貨条例」が発布され、「円・銭・厘」という近代貨幣制度が確立しました。江戸時代の貨幣は、重なる改鋳によって様々な品位と重量を持つ金・銀・銭貨など、雑多な貨幣が多く存在したため、明治政府としては、貨幣の整理と新たな貨幣制度を構築する必要がありました。

 

新貨幣の単位を「円」とし、その百分の一を「銭」、千分の一を「厘」と定め、十進法によること、金貨を本位とし、純金1.5gを一円とすること、在来通用貨幣一両は一円とすること等が定められました。

 

 

「新貨条例」後に発行された貨幣・紙幣

 

 

 

こうして新しい貨幣である「円」が成立し、「円」による統一が完了しました。新貨条例では正字の「圓」が用いられ、明治30年(1897年)の貨幣法でも引き継がれました。国字の「円」が登場するのは、昭和24年(1949年)制定、翌年発行が開始された千円券、補助貨では昭和23年(1948年)制定の黄銅貨(一円と五円)が最初です。

 

こうして日本の通貨単位である「円」は、今日までずっと続いています。2021年6月に150周年を迎えることを記念して、「近代通貨制度150周年記念貨幣」が造幣局から発行されることとなりました。

 

 

近代通貨制度150周年記念貨幣 一万円金貨幣

 

   

 

表:「圓」の文字と「菊と桐」/裏:現行通常貨幣(6貨種)の図柄

 

 

明治政府になるとともに、人心一新の狙いもあって貨幣の呼称を変更したことは想像できますが、「円」という呼称のルーツや、いつどのように決定したのか…明治5年に起きた紙幣寮(現在の国立印刷局の前身)の火災、翌6年に起きた皇居の火災により、貨幣についての重要書類や証拠となる資料が消失したことが影響し、残念ながらその詳細は不明とされています。そこで、円誕生のヒントとなる、「円」にまつわる諸説をいくつかご紹介します。

(1)「名は体を表す」説

明治2年(1869年)、円についての歴史的事実が2つありました。

 

1つ目は、同年3月4日に京都の議事院で開かれた、貨幣についての会議です。「明治貨政考要」によると、明治新政府は同年2月に新貨幣を鋳造しようとした際、呼称は旧来の「両」、形も従来のままにする予定だったとされています。これに強く反対したのが会計官副知事の大隈八太郎、のちの大隈重信です。この会議で、新貨幣の形は流通や携帯に便利な円形に定めること、また計算上不便な四進法をやめて十進法にすべきことを建議し採用されました。

 

会議の席で大隈重信は、新貨幣の形を円形にすることが適切であることをアピールするために、親指と人差し指を合わせて“円”を作り、「このように示せば、子供でも貨幣であることがわかる」と言った、などのエピソードもあります。

 

 

 

 

2つ目は、新政府が同年7月7日付で新貨幣を各国公使に告げた書状と、その別紙です。この別紙に、「円」の呼称が出た初めての公式文書として次の内容が記録されています。

 

…「一円ヲ以テメキシコ洋銀一枚ニ比較シ起算スル所ノ者ナリ」…

 

 

経済学者の三上隆三(和歌山大学名誉教授)は、大隈重信の「建議」と「各国公使への書簡」という2つの歴史的事実から、「円」という呼称が内定した時期は、明治2年3月4日~7月7日までの間だろうと推測しています。

 

※余談※

「円」という字が初めて政府の公式文書に載ったのは明治2年7月7日でしたが、なんとその4カ月も前である、3月24日付の「六合新聞(第2号)」でスクープされていました。「円」が決定した期間は、もっと短いのではないかという説もあります。

(2)香港から来た「造幣機械」と「一円」の影響説

日本の初期の造幣機械は、英国香港造幣局製の機械を譲り受けたものだったため、その影響を強く受けたという説です。

 

当時、香港造幣局で鋳造した香港ドル銀貨には「香港一円」など表示があったので、これを模倣したという説。日本で当時流通した一円銀貨の品位、量目が香港一円銀貨と同じだったのも、この説の根拠になっています。

 

「両」に代わる新しい額面「円」が刻印された通貨を日本国内で初めて生産したのは、1868年(明治元年)に閉鎖された香港造幣局から日本政府が60,000ドルで購入したジェームズ・ワット社製の造幣機器でした。この他に英国から届いた鋳造設備とともに、香港の元造幣局長である英国陸軍少佐ウィリアム・キンダーを初代所長として、1871年4月4日に大阪造幣局が開業しました。

(3)知識人・文化人の間で「両」を「円」と呼んでいた説

江戸時代に中国から伝来し、一部の知識人の間で「両」を「円」と呼ぶ風習があり、円を支持する空気が強かったという説です。

 

明治までは「両」「分」「朱」「文」でしたが、すでに徳川時代の末期にはごく一部で「円」と呼ぶ習慣があったといいます。貨幣単位としての「円」の呼称は、江戸時代に中国から伝来し、当時の知識人・文化人の間で使われていました。

 

その他、江戸時代に一般大衆の間で流行った「持丸長者」という“流行語”の影響を受けたという説もあります。「丸」とはお金のことで、つまりお金持ちの事を意味しています。「持丸」のことを「有円」ともいうことから、お金を意味する「円」はごく普通に使われ、新貨の呼称となったのではないか、というものです。

まとめ

いろいろな説がささやかれていますが、いずれも決め手はありません。

 

しかしながら、江戸時代から「円」がお金の意味として受け入れられたことは確かです。これらの諸説が重なることで、ごく自然な流れで「円」の採用が決まったというのが真相なのかもしれません。

 

著者 Author
yama
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