豊臣秀吉は天正16年(1588)から、史上でもっとも絢爛豪華な天正大判を製造しました。
表面に中央上部から拾両、後藤、下部に後藤の花押が墨書きで大判座後藤家により
書かれ、上下・左右に桐紋が打たれており、はじめての定量大判として
量目44匁(165グラム)と定めました。
秀吉は天正17年(1589)5月に天正大判4700枚、その他の金、銀をばら撒いて
聚楽第で有名な「大閤の金くばり」を行い、勢力を誇示しました。
当時日本は、世界一の産金国であったと思われ、各地より大量の金銀を献上させた
秀吉の辣腕ぶりがしのばれます。天正大判には数種類ありますが、この中でも
世界最大の金貨と世界に 馳せた長大判は世界トップレベルの名品といえるでしょう。
現存数少ない長大判の中でも長径が165ミリを超える判は非常に稀少で、
驚くことに本品は、171ミリで最大級と思われます。
また、長大判の桐紋は10ミリと天正大判に比べ1ミリほど小型であるのが特徴です。
本品は大型で、墨書き、判ともに最高の保存状態であり、名品中の名品なのです。
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