通常貨を未使用状態で組み合わせたセットを未使用セット(アンサーキュレテッドセット)通常ミントセットとよんでいます。各国が、日常流通している通常貨(時には記念貨を含む例も有り)全揃を組み合わせ発行したのは、第2次世界大戦以前には殆どなく、アメリカの1947年が最初です。
次いでインド、イスラエル、イギリス、ソ連などが続き1960〜1970年代に入ると多くの国が追随し、以降現在まで毎年発行している国々は20カ国を超えるようになりました。通常貨の図柄は流通による摩擦を考慮して凹凸の少ない平坦な図案が多いが、夫々が自国を代表する事柄、人物となっています。
多くの国がミントセットを相次いで発行するようになったのは、何といっても世界的にコインに興味を有する層が急増し需要が拡大したからです。
※写真は45年〜47年までのものです
我国の造幣事業は昭和46年に創業100年を迎えましたが、オリンピック記念貨の発行を契機としてコインブームが静かに盛り上がっている背景もあり、我が国も貨幣資料を整理充実させて、造幣局より国民に親しませ、造幣博物館を開設する等、100百年記念事業の一貫として開かれた存在としての努力を続けていました。
かかる時期に世界の趨勢となってきたミントセットの発行を計画したことは時宜に適した借置であったと思えます。初年度の1969年会計年度(4/1〜3/31の間)に、造幣局は10万セットを製造する権限が与えられ、日本国内外のコレクターに配布する予定でした。
そのとき思いがけない事がおきました。昭和44年、ミントセットの交付が決行したとき『額面166円のものを360円で売る』“インフレを助長するがめつい大蔵商法”とマスコミが叩いたのです。
確かに100、50、10、5、1円の通常貨額面166円のものを送料別の360円で交付しようとし、しかも未使用状態のコインから選別しセロハンないしビニールに収集して配布すると価格としてはコインコレクターにはむしろ安すぎるようにさえ思えます。アメリカの実例をとれば1947年に50、25、10、5、1セント貨2組(額面1ドル82セント)を紙製板紙に収納して4ドル87セント(2.7倍)で発売しています。
この評判から起こる波乱を憂慮した大蔵当局は急遽、発行方針を変更、『日本の貨幣と造幣技術との紹介とPRを兼ねて、毎年鋳造する各種の貨幣を組み合わせた』いわゆる『ミントセット』を造り海外向けに販売することにしました。当時の米国一の週刊誌『コイン・ワールド』は大蔵省造幣局ののミントセット交付要領を次のように紹介しています。
1.本コインセットは通常流通用に製造されたものであるが、コイン収集家向けに直接交付する。
2.本コインセットは交付希望者の国籍に関係なく、国内での交付はしない。
3.発行限度は10万セットだが交付は申請者一人当り5セットを限度とする。
また、この海外向けの4年銘は、その後発行された国内向けに比べると、発行数が1/20〜1/50の稀少品です。
財布型塩化ビニール表紙入りセット
二つ折れ財布型で、表紙に塩化ビニールを使用した日本のミントセットは、当時シンガポールで発行した形式を参考にしたものと言われています。当時既にかなりの多くの国がミントセットを発行していましたが、包装形式は多種で、紙製カード式、セロハンの袋の外、新素材として塩化ビニール表紙を使用する国々も現れつつあり、塩化ビニール樹脂使用の試験段階にありました。日本が本形式でミントセットを発行したのは
海外向け 昭和44年(1969年)〜昭和47年(1972年)4年間
国内向け 昭和50年(1975年)〜 昭和58年(1983年)9年間
の二つの時期です。
箱型硬質プラスチックボックス入りセット
昭和 59年(1984年)以降
かくしてコイン界の趨勢を全く知らない、マスコミの無責任とも思える記事が、日本のコイン収集家が心から求めていたミントセットを入手出来ない形式だけの発行となってしまったのです。つまり日本のコインでありながら日本人が買えないコインが出現してしまった事になります。
日本コレクター待望のミントセットはこうして波瀾に満ちた門出をすることとなり、これが意外な波紋を巻き起こし海外に渡った貨幣セットが国内に還流、販売されはじめ初年度の貨幣セットが一時20万円を超える事となってしまいました。
最初の日本のミントセットにはこんな波瀾なエピソードがあったとは今のミントセットを見ていると想像もつきませんね。
これだけの日本の収集家を騒がせた初代ミントセットはどんな物だったのでしょうか。
次回はこのミントセットについてコインの詳細をご紹介致します!
(泰星マンスリーバックナンバー抜粋)
次回海外向けミントの種類のご紹介を致します。 |