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これからコイン収集をはじめようとお考えの方や、収集の方法にちょっと行き詰まってしまった方へ。


第七章 『コインの図柄の素朴な疑問8

前回のハイドンに引き続きオーストリアの音楽家シリーズ金貨のご紹介。
国の財産とまで呼ばれた最高の称号『楽聖』を持つベートーヴェンです。

ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン
2005年2月15日、ウィーン。オーストリア造幣局は永遠の大音楽家ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェンを称えるプルーフ金貨を発行しました。

この新発行金貨は、ベートーヴェンの交響曲としては初期の作品である交響曲第3番「英雄」を取り上げています。


当初、ベートーヴェンはこの曲をナポレオン・ボナパルトに捧げるつもりで書きましたが、1804年にナポレオンが自らフランス皇帝に即位したことに憤ったベートーヴェンは、楽譜の表紙からナポレオンの名を消し去り、その跡には穴が残ったとされています。
彼は「英雄」を保護者ロブコウィッツ公爵にあらためて献上し、公爵の宮殿が「英雄」の初演会場となりました。1805年このコインが発行される200年もの前のことです。
ヘルベルト・ヴェーナーが造形したべートーヴェンの肖像は、コインの縁からはみ出さんばかりに新しい金貨の表面を覆っています。軽く口元を結んだその表情は、真剣で近寄りがたい。懐疑的な視線をやや向かって左側に投げかけている特徴ある顔立ち、ヘアスタイルはトレードマークの「べートーヴェンのたてがみ」である。そして窮屈そうなカラーとネクタイが首を締め付けています。手本として使われたのは、アウグスト・クレーバーが描いたスケッチ(1818年)のものです。


ロブコウィッツ公 宮殿ファサード

額面を記した側は、トーマス・ペーゼンドルファーが手がけました。こちらの面にはロプコヴィツ侯爵邸の堂々たる外観が見て取れれます。消尽線が左から右へと流れる透視画法によって屋敷は描かれました。
この図柄の下敷きとなったのはヴィンツェンツ・ライムによる手彩色エッチングです。

コイン右下の4半分には、『エロイカ』譜面の表紙の一部が描かれています。
この曲はロプコヴィツ侯爵に捧げられ、ウィーンでの初演も彼の屋敷が会場となりました。楽譜の上に置かれた羽ペンは、べートーヴェンの作曲活動を象徴しています。
『エロイカ』の献呈とウィーンでの初演が行われたロプコヴィツ侯爵邸。
ヨゼフ・フランツ・フォン・ロプコヴィツ侯爵は、ルートヴィヒ・ファン・べートーヴェンを支えた最大のパトロンのひとりに数えられます。これらの後援者は見返りとしての奉仕を求めはせず、べートーヴェンに自由な芸術家としての活動を許していました。
また侯爵は卓越したバイオリン奏者であり、自前のオーケストラまでも持っていました。


◇ベートーヴェンの歴史◇

ドイツのボンに生まれたベートーヴェンは1792 年、22歳のときにヨゼフ・ハイドンの招きでウィーンに移り、ハイドンに師事した。ベートーヴェンの作品はほとんどが、この音楽の都ウィーンか、その郊外で生まれている。1795年、ベートーヴェンはピアニスト
兼作曲家として初めての公演をウィーンで行なっている。

1802年に始まった聴力障害の進行に悩まされながらも、ベートーヴェンは作曲を続け、
作品の演奏を晩年にいたるまで指揮し続けた。
ベートーヴェンは1827 年3 月26日にウィーンで亡くなった。ウィーン市民から高い評価と尊敬を受けていたこの天才音楽家の葬儀の日には、学校は休校になり、3万人が参列してその死を悼んだ。


1770年 ボンにてルートヴィヒ・ファン・べートーヴェン生誕。(おそらくは)12月16日に誕生し、その翌日、教区教会である聖レミギウス教会にて洗礼を受ける。
1775年 最初の音楽のレッスンを父より受ける。
1778年 3月26日ケルンでピアニストとしてデビュー。
1781年 宮廷オルガニストのネーフェにピアノと作曲、さらにオルガンとバイオリンを習う。
1784年 オルガン奏者としてネーフェの代理を勤める。
1787年 ルートヴィッヒは初めてウィーンを訪問し、モーツアルトの前で演奏する。しかし母親が危篤となりボンへ戻らなければならなくなる。
1789年 父親が失職。ルートヴィッヒは弟たちの後見人になる。
1790年 ロンドンへ向かう途上のヨーゼフ・ハイドンがボンを訪問。
1792年 ロンドンを発ったハイドンがボンを経由してウィーンに戻る。ハイドンはべートーヴェンにレッスンを授けるとの意向を伝える。11月べートーヴェンはボンを離れウィーンに向かう。
1793年 べートーヴェンはウィーンにてカール・リヒノウスキー侯爵と知り合い、侯爵邸に止宿する。ハイドンとヨハン・シェンクよりレッスンを受ける。また翌年よりヨハン・G・アルブレヒツベルガーと
A・サリエリからもレッスンを受ける。
1795年 自作のピアノ協奏曲変ロ長調op19とともにウィーンにて公開の場へデビューする。
1796年 プラハ、ドレスデン、ベルリンを旅行。
1798年 難聴の最初の兆しが現れる。
1800年 べートーヴェンはホーフブルク劇場にて最初のコンサートを開く。
1802年 次第に進行する難聴の症状に苦悩し、鬱病となり、ついに『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたためる。
1803年 ルドルフ大公(皇帝レオポルト2世の末子)がべートーヴェンの生徒となる。二人は友人となり、大公(後のオルミュッツ大司教)はべートーヴェンの重要なパトロンのひとりとなる。
1804年 交響曲第3番『エロイカ』完成。当初べートーヴェンはこの作品をナポレオン・ボナパルトに捧げるつもりであった。しかし12月にナポレオンが皇帝として戴冠したとの報せを聞くと、献辞からボナパルトの名前を消し去る。そしてこの曲はロプコヴィツ侯爵に捧げられた。
1805年 ロプコヴィツ侯爵邸にて交響曲第3番『エロイカ』のウィーン初演。11月20日にはべートーヴェンが作曲した唯一のオペラ、『フィデリオ』が初めてアンデアウィーン劇場で上演される。
1809年 べートーヴェンにカッセルから常任指揮者就任の要請がある。べートーヴェンがこの話を断るようにと、ルドルフ大公、ロプコヴィツ侯爵、そしてキンスキー侯爵が、年額4000グルテンの報酬を申し出る。
1815年 べートーヴェンはウィーンの名誉市民となる。
1816年 べートーヴェンは甥カールの後見人となる。この件を巡りカールの母はべートーヴェンを裁判所に訴える。(1818年)裁判は1820年に結審。べートーヴェンに有利な判決が下る。
1824年 ウィーンのケルントナートーア劇場にて交響曲第9番初演。このころべートーヴェンの耳は完全に聞こえない状態だったが、それでも自ら指揮を執ると強く主張した。
1826年 甥のカールは次第に面倒を起こしがちになり、扱いにくくなる。7月30日、カールは自殺を試みる。べートーヴェンはグナイクセンドルフに住む弟のヨハンの元にカールを送り届ける。べートーヴェン自身も病に倒れる。
1827年 3月24日べートーヴェンは終油の秘跡を受ける。臨終は26日。べートーヴェンの葬儀には3万人もの人々が葬列に加わった。悼辞は文豪フランツ・グリルパルツァーが読んだ。

次回は近年いろいろな図柄が発行されている英国の ブリタニアについてご紹介!

次回のコインワンポイントレッスンは『コインの図柄の素朴な疑問9』 です!




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