ミントセットの交付の国外向けは昭和47年に中止されましたが、二年間中止されただけで昭和50年国内向け交付開始、国外向け再開という形で幕開けしました。ミントセット交付開始は、全国的な大歓迎を受け、大阪郵便局への問い合わせや申し込みが殺到しました。
造幣局では昭和44年度から外国の政府機関および貨幣収集家を対象に貨幣セットを交付してきました(昭和48、49両年度は通常貨幣の増産のために交付を中止)が昭和50年度以降は国内でも貨幣セットを交付することになりました。
また国外向けについては昭和44年から開始し昭和48、49両年度は通常貨幣の増産のため中止していましたが、国内向け交付開始に伴い再開することになりました。交付方法などは国内向け同様で、発行数30,000セットですが交付希望が多い場合には増加するという形でした。尚、海外向けミントの主な交付先は約50ヶ国に渉り、主な国はアメリカ、シンガポール、カナダ、オーストラリア、西ドイツ、イギリス、イタリア、フィンランドです。
国内外向け時代 昭和50年−58年 9年号
毎年一種類のミントセットが継続的に交付され交付量も40万セットから70万セットまで伸び、コインの普及が実現していきました。改訂された点は5つのポイントです。
1.新しく発行されたミントセットは日本が主市場になるので、表紙に英文三段でMINT BUREAU/MINISTRY OF FINANCE/JAPANと記載されたほか、日本語一段で日本国大蔵省造幣局と記されました。
2.表紙の内面に造幣局の写真と簡単な業務内容が日本語と英語の両国語で紹介されると同時にセットされた貨幣の説明も両国語でなされました。
3.貨幣をセットした透明塩化ビニールの内袋の中央に年銘版が使用されることとなり、初年度昭和50年は白色硬質プラスチック製の菱形年銘版の両側に1975と記されたが昭和51年から58年までの年銘版は6角形黄銅に変更、表にその年の干支動物、裏に西暦で年号が記載されました。
4.表紙の色は最初の二年号昭和50,51年両年は白色が使用されたが、52年からは毎年異なった色が使用された。(昭和57年は白色)
5.昭和57年に通常貨500円が発行され、従来の100円、50円、10円、5円、1円に追加され6種類となりました。そのため寸法は横幅88ミリと変わりませんでしたが、縦が118ミリから133ミリに延長されました。
種々の時点で、改善したミントセットは国内の大量の需要にささえられて、順調に推移しているかに思えました。しかし、思いがけない重大な事態が起こりました。以前表紙に使用されていた白色塩化ビニールは国外向けの最初の二年号を『欠陥商品』とするほど状態が悪かったものの、国外向け二年号以降は改善され包装に品質上問題のないものになりました。しかし、新しい国内外用として貨幣をセットするために使用された内袋の軟質透明塩化ビニール樹脂がセットした貨幣を侵害し始めました。塩化ビニールに含まれた塩素がアルミ貨を除く白銅貨、青銅貨、黄銅貨の各貨に作用して『緑青』錆を発生させたためです。塩化ビニール樹脂は第二次世界大戦中に開発さた新素材で、貨幣にどんな影響を与えるかについては不明でした。1960年代末から1970年代前半にはいくつかの造幣局が塩化ビニールに貨幣をセットするために使用し始めていましたが、オーストリア、西ドイツ、ポルトガル、が使用していますが、損傷が起こっているものも見られます。
日本のミントセットの場合は国内外向けとして交付された昭和50年から58年の9年号の中、最初の昭和50年からから54年の5年号に『緑青』錆が発生しているのが見られますが、55年から58年の4年号は従来と同一のセット方式をとっているのに『緑青』の錆は発生はないので、塩化ビニールの良質なものを使用されたと考えられています。
これにより多くの収集家がミントセットの収集を中断してしまう切っ掛けにもなってしまいました。
こうして試行錯誤を重ね、国内向けミントセットはカラフルな写真の外装やプラスチックケースに入れられた形に変わってきました。急遽海外向けのみという波瀾なエピソードからはじまりコレクター達をいろいろと悩ませた通常貨は今後どんな形になっていくのでしょうか。楽しみですね!
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